世界は主によって作られた(信徒修養会原稿下書き)

乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。 4:12私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。 4:13私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。 (ピリピ4:11)

 

神様が生きて働いておられる事を、日々実感しながら生活できる事を感謝します。この世にあるものはすべて、主が造られたという事を、聖書のいたるところで読みました。実際目を差すような木漏れ日や、長野の山々そして深紅に染まった夕焼けと大空を見ていると、どれだけ優れた絵描きも、この美しさをそっくり再現できるとは思えません。

 

生活の中で起きる大小さまざまな出来事も、すべて神様の御計画の中で起きている事も聖書から学びました。だから生きている事そのものが証だと思えるのですが、他の方はどう感じておられるのでしょうか。神様の御計画はわたしが母のおなかで、組み立てられる前から始まっていたようです。確か詩篇の作者の誰かが同じことを書いていました。

神様はわたしから多くのものを取り上げられました。わたしに残されたのは、発達障害特性と幼児期の親からの虐待、いじめ、ののしりあいや殴り合いを繰り返す親たちとの生活、うつ病など、辛く悲しい人生です。わたしの特性は教会でも受け入れられませんでした。

気が付いたら周囲に理解者は誰もおらず、神様しか頼れる方がいなかったのです。 「神様、つらい」この一言が発端になって、ぼろぼろと神様に気持ちを吐き出し続けました。そうしたら今まで味わった事がないほどの平安に満たされました。初めて神様にゆだねる体験をしたのです。それからの人生は文字通り神様と二人三脚で歩む人生です。

わたしの発達障害特性は聖書から、様々な気づきをいただく中で解消されていきましたから、今はかなり生きづらさが緩和されています。教会での良き交わりもいただいていますから感謝です。

雷に打たれたような時と言えばきっとあの時でしょう。農道をゆっくり歩いていた時、強い日差しが木の葉の隙間から目に差し込んできました。あまりにまぶしいので手で遮ろうとしたその時に、突然雷に打たれたような衝撃を感じました。脳が覚醒して様々な御言葉が、浮かんでは消えていったのです。御言葉のいくつかはイザヤの一句だったのを、覚えています。

この世はすべて神様のご支配のなかで動いている事も、聖書を通して知りました。このたびの証の機会を与えていただけると知った時、数ある恵みのうちのどれを話そうか、選ぶ事ができずに困りました。小さなことまで話していたら30分ではとうてい足りそうにありませんし、どう言葉をつくせばしっかり思いを伝えられるのでしょう。

何よりもわたしの心の中は、悪意や不平不満などが、ちょっとしたきっかけで浮かんでは消えていく有様です。どこを切りとっても闇だらけで、時々自分がどうしようもなく嫌いになります。何度も主に相談した結果。そのままの自分の正直な気持ちを出せばよいと思うに至りました。その時に必要な言葉をくださいと主にお願いしました。

神様は明確な使命も与えてくださっています。特製ゆえに定職に就くことができずにいたわたしは、心理カウンセリングをまじめに勉強してみようと思い立ち、祈るためにカトリック教会堂へ入っていった時の事です。机の上にたった一枚残されていた週報には、次の御言葉が書かれていました。「その時、私は主の声を聞いた。/「誰を遣わそうか。/誰が私たちのために行ってくれるだろうか。」/私は言った。/「ここに私がおります。/私を遣わしてください。」(イザヤ書6:8)

この時思ったのは「神様がわたしをどこかへつれだそうとしている」という事でした。主は安定したウルの生活から、アブラハムを危険極まりない砂漠へ導きだしたように、わたしを未踏の地へ導きだそうとしていたのです。その日のうちに自分が発達障害者だと知らされました。

そうして何年もかけてわたしの内側を整えながら、神様と人に仕える人生へと導いてくださったのです。神様の召命は単に何かをするという事ではなく、古い自分を捨てて新しい人生へ移り変わるという意味もあると、デボーションで学びました。聖書の中の神様は義なるお方であり、生きて働かれる神様です。ご自身に忠実に従うものを求めておられます。

罪を悔い改めて救いを受け入れ、主の憐れみを求めて、主よとよびかける者を受け止め、愛し守ってくださいます。主に悔い改めるのに遅すぎる事も早すぎる事もなく、ずっと待っていてくださるという事も、聖書から学びました。

わたしの今の生きる目標は走りぬくべき行程を走り、信仰を守り通し、最後に主からの栄冠をいただく事です。主から導かれた方法で、生きづらさを抱えた人たちに、主が良しとされる日まで、主の懐で生きる幸せを伝えていきます。主にご栄光がありますように。