満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。Ⅰテモテ6:6
アーメン!
きょうの学びを主に感謝します。
毎回たった1ページ程度の証を表記するのに、何時間もかかります。名文を書きたいわけではなく、どのような言葉を使えば主のご栄光を、明確に表せるのか考え込んでしまうからです。”単なるブログじゃないか、気楽に書きたいことを書けばいいんだよ”と、一部の読者はきっと笑うでしょう。
もしかしたら言葉1つで神様につまづいてしまう人がいるかもしれません。すでにつまづいた人がいたら、ほんとにもうしわけありません。わたしがささやかな気持ちで投げかけた疑問が、教会を分裂させてしまったとしたら、わたしはどう赦しを願ったら良いのでしょうか。
もしかしたらわたしこそ”偽預言者だったのではないか”と、深い悲しみと絶望感に歳悩まされています。けして悪意ではありません。主のご栄光を強く願っていました。
わたしにとって主がすべてです。わたしのようにたくさんの障がいを与えられた者は、主にすがって生きていくしかありません。すべての人にとっても同じではないのですか?
特に牧者のように命を削る奉仕にあずかっている人たちは、主への強い信仰と祈り無くしてはできないのではないでしょうか。これは間違ったごう慢な思いでしょうか?
過ぎた事をくよくよしてもしかたありません。主は失敗をも用いて良しとなるように、状況を整えてくださるおかたであると、聖書から知りました。すべてが主の御計画のうち。
主におまかせしよう。もしも悪を行っていれば、主が教えてくれ悔い改めに導いてくださることでしょう。どのような状況でも主を見上げて生きよう。主は憐れみ深いお方だから、主に感謝。
~本日のお祈り~