私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。ホセア書6:3
情報源: 神がそこにおられる
アーメン!
神様と共にいる時はとても幸せなのに、神様から離れた世界にいるととてもみじめな気持ちになります。
安心している時のわたしは気持ちもおだやかでいられます、何をやってもうまくいきそうな気になります、なんでもできると気持ちも大きくなります。
教会でしか生きられないわたしって、なんなんなのでしょうか。
これは誇るべきことなのでしょうか。
神様の意図ですか?
”わたしだけを見ていきていきなさい”ということですか。
アブラハムさんは、ずっといつまでも続く砂漠の旅に不安はなかったのですか?
いつになったら落ち着ける場所にたどり着けるのだろうと、考えなかったのでしょうか。
成功したい、もっと有名になりたい、もっと本領発揮しておもうがままに生きたい、いろんな道があるけど、わたしが落ち着ける場所は、モーセさんではなく、ロトさん?なのかな。
”彼は栄えてわたしは衰える”
ずっとこのまま・・・。
すいません。ここのところ睡眠時間が4時間を切っているので、ちょっとうつっぽいです。
主よ憐れんでください。