そう見えるのではなく


愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。Ⅰヨハネ4:1

情報源: そう見えるのではなく

アーメン!

確かに一見正しそうに見えながら道を迷わす様々な教えや、考えが氾濫しています。

そのような時に確実に道を示してくれるのが神の言葉である、聖書です。

”聖書はわたしの言葉になる”

神さまが教えてくれた事。

どう気持ちを表したら良いのかわからない時でも、聖書の言葉が気持ちを相手に届けてくれます。

箴言を開いた時は衝撃的でした。だれも教えてくれなかった知恵を、丁寧に語ってくれていたからです。

”当たり前の事が書いてある”、

確かにそうですね。

その当たり前の事がわからなくて生きづらくなっている人にとって、多くの人が見捨てていくその1つ1つの言葉が、不安をとりのぞいてくれているのです。

旧約聖書に出てくるモーセやヨセフ、ヤコブ、そしてたくさんの志士たちは、今の時代なら確実に生きづらくなっていたであろう人々です。何万人という群衆の中から見つけ出されて時代を変えていった人たちです。

アブラハムは、70才になってから砂漠の旅へ導き出されたのです。神さまから「わたしは誰を使わそう。はい私がいます、わたしをおつかわしください。」との御言葉をいただいた時は、アブラハムさんが見ていたであろう光景を、わたしもみていたのです。

わたしの気持ちとアブラハムさんの気持ちが融合しました。この記事があったから「はい主にしたがいます。御心がなりますように」と言えたのです。

集団に入ると緊張する者には、教会も怖い場所です。人の優しさは関係ないんです。人が少なくなった教会で安堵感を覚えている人間もいるのに、人が減ると教会はつぶされる仕組みになっているようです。

牧師の生活を守る意味もあるんだろうけど、それなら信者で教会を守るあるいは聖書研究会に戻るという事は無理なのかな・・・。

人に囲まれる不安を我慢しながらでも教会へいかないと、信仰がなくなると言われます。慣れなんだけどね。

慣れるために祈りが必要です。時々ストレスでつぶれそうになったら、神さまとの密室の祈りをする事で、気持ちを神さまに聴いていただきます。

神さまとの一対一の祈りは、こりこりになった気持ちをほぐすのに有効です。

神さまとのコミュニケーションはとても大事です。

聖書を通して神さまの御心を知り、どう歩んだらいいのかの示唆と慰めを得られる事を、多くの若者に臆する事なく伝えていきたいと思いました。

 

主に感謝

 

投稿者: nozomi016

アスペルガー症候群およびADHD(注意欠陥多動性障害」という診断名を持つ当事者です。生きづらさを持つ人の交流会・あずさの会創始者兼スタッフメンバーです。 クリスチャンです。